夏は緑の香り

わかばのブログにようこそ!最近考えていること、感じていることを素直に書いてみようと思います。

合奏が楽しい

昨日久々にオーケストラの弦分奏が開催された。やっぱり合奏は楽しいという話。

 

お昼ご飯は韓国料理

合奏するためのスタミナづけである。ビビンバと冷麺を両方食べるという豪勢さ。韓国料理は小さい時は辛くて食べられなかったものだが、今となっては辛いのが良いんじゃないかと提唱している。金属のお皿とお箸も雰囲気が出ていて良い。

 

コンミスがすごい

早速合奏であるが、うちのオケはコンミスの力量がすごい。すごいというのは、指導力も、技術力も、表現力も備わっているということである。動作がわかりやすくて音をあわせやすい。感染予防の観点から、プルトを組まずに2メートル離れてやっているので音で合わせるとタイムラグが生まれてしまうのだが、それを最大限防げているようである。

 

後ろから音が聞こえるとテンションが上がる

私にとって合奏の何が楽しいかと言えば、自分の周りから音楽が聞こえて、音楽に包まれているような感覚になることである。特に後ろからの音は、オーケストラのような大所帯の集団でないと体験できない。オーケストラのコンサートに行っても、ホールの性能にはどうしても限界があるので、後ろからの音を聞くのは容易ではない。自分は声楽はかじるほどしかやっていないのだが、合唱にも興味がある。おそらく、この後ろからの音というのが自分のつぼなのだろうなあと最近気付いた。

 

早く全奏もやりたいな。

大学生の夏休み

久しぶりにブログを書いています。

大学は8月の初め頃から休みだったわけなので、特段忙しかったわけではないのですが、なんとなく気分が乗らなかったので。

今日は、ここ一ヶ月近くの夏休み何をしたか振り返ってみたいと思います。残り一ヶ月の夏休みを有効に使うためのモチベーション作りになったらいいなあと思いつつ。

 

川越に遊びに行った!

題の通りである。川越で高校の頃の友達と待ち合わせをして、川越、小江戸の周辺を散歩。高校時代はよく通ったクレアモールであるが、2年ぶりに行ってみるとまず入口の様相が違うことに仰天!ドンキができていたのである。しかも行った日がグランドオープン。その先もいろいろお店が変わっていて、コロナ禍の影響もあるのだろうが、よく行ったお店が潰れていたりもして少し残念。

時の鐘直近のスタバで休憩(といっても休憩とは言えないほど長居してしまったのだが)した後、菓子屋横丁でむらさきいもソフトクリームを食べて、あっついねと言いながら歩いて川越駅に帰ってきた次第である。

どこか神社やお寺に寄ればよかったと思わないこともないが、何しろ暑かったのでまた今度の機会に。

私は理系の学生だが、一緒に行った高校の友達は文系で、しかも国文学を学んでいるそうであるので、大学での学びがどのような感じかを聞くのが非常に興味深かった。一文字もわからぬ漢文を見せてもらったり、崩し文字を見せてもらったりしたが、うーん、やっぱり文系の学びは難しそうだ...。

 

合宿ならぬ集中練習

以前の記事に書いたかどうか忘れてしまったが、私はオーケストラのヴィオラパートに所属している。ヴィオラ?何それ?という方は、バイオリンの大きいやつと思ってもらえればだいたい正解である。今の天皇陛下ヴィオラ弾きでいらっしゃるようなので、もう少し認知度が上がっても良いと思っている。

で、このオーケストラが夏休みに何をしたかと言えば、時勢柄合宿を諦めて、集中練習というなの日帰り一日中練習をやったのである。2メートルの間隔を確保し、マスクは付けっ放しで合奏をやるというのは、良くも悪くも、自分の音がこれでもかというほど良く聞こえるので、精神的にきついものがある。

しかし、今回の集中練習、新しい出会いがあった。弊パートに新しく読響の先生をお迎えしたのである。他の業界と比べれば随分とおおいがそれでも少ない女性の奏者の方でしかも、とても優しい。もっと練習を頑張ろう。。。

 

夏だ!バイトだ!

塾でバイトをしている。夏は、そう、夏期講習の時期である。中学生に英語を教えるのが仕事であるが、自分は勉強は自己責任だと思っているので、実は塾講師には向いていないのかもしれない。しかし、思想と行動は別物である。割ときちんと仕事をしているつもりである。夏期講習の大変なところといえば、「毎日あること」に尽きる。毎日授業準備をしなければならないのがとにかく大変である。やっつけで済ませてしまうことがないとは言わないが、それでも嘘を教えるわけにはいかないので、知識の確認などは絶対必要である。特に、教材を自分で作ろうとすると、時給はもはや300円程度である。(1時間で1500円の時給であるので、4時間準備すると時給は300円になってしまうのである。)

大変な塾のバイトだが、知り合いが多くてやりやすいのでもうしばらく続けるつもりである。

 

読書

私は、本を読むのが遅いが、読書が好きだ。最近は新書や研究所などもあまり苦なく読めるようになってきたので、読書の幅が増え、書店に向かう頻度も増えた。最近は小児疾患に関する本を読むようにしている。興味はあるが実勢に将来このことに関わるかは今考え中である。

 

と、いろいろと書いてみたわけだが、1ヶ月あった割にあまり何もしていないということがわかった。次の1ヶ月はもう少し勉強もしようかなと思う。

兄弟と音楽する

大学でオンライン授業があると雖も家にいる時間は長くなったので、家でできることが増えた。そのひとつとして挑戦してみたことを書いておこうと思う。

ピアノ、歌、そして…

私の家には兄弟が3人いるが、全員がピアノと歌を習っている。この休みに、全員共通の先生のオリジナル楽曲を練習して録音し、FMラジオに流そうというイベントをやったので、その感想をつらつらと。ラジオに流れるのはまだ先だが…

兄弟と音楽を作るのは難しい。

何と言っても精神的にも物理的にも距離が近いがゆえに兄弟とアンサンブルや、歌ー伴奏の関係をうまく作り上げるのは至難の技なのである。友達とのアンサンブルならば、誰かが間違えたりしても、明るく、もう一度やろう!!というようなことができるのだが、兄弟となるとそうはいかない。すぐに文句が出てくるのである。

 

そんなところができないなんて練習不足なんじゃない?

そこはクレシェンドだってさっき言ったところだろ。ふざけるな。

 

といった調子である。アンサンブルが合わなくなったら、犯人捜しの始まりである。そこでまたいざこざが起こり、結局、もう今日はやめた!というようになってしまうのである。

それでも

それでも、兄弟だからこそアンサンブルにプラスに働くこともある。それは練習過程を知っているということである。友達とだと、譜読みから一緒にやるという場合は皆無であるので、そこに兄弟ととの差が出る。つまり、家で練習しているのを聞いていうるために、あいつはここが間違えやすい、ここが遅くなりやすい、譜読みに苦戦していたことを思うとこの部分は難しいのだろうなということがなんとなくわかるのである。

そういうことがわかったからといって、相手が演奏しやすくなるような音楽の流れにできるような技量は持ち合わせていないが、謎の連帯感が生まれるのである。相手の間違えやすいところに到達したときには自分もなぜか緊張するし、無事にそこを通り抜けられたときにはよっしゃと思う訳である。そういう気持ちを持つことは率直にスリルがあって楽しい。

 

思えば、家でアンサンブルができるということもわりと珍しいことなのかもしれない。兄弟がいて、かつ、その兄弟と自分が双方とも音楽をやっていなくてはならないのだから。兄弟と音楽を作ることは、難しい面もあるけれど、音楽経験としても心のつながりとしても、大切なことなのだろうなと感じる今日この頃である。

オンライン授業を一週間受けてみて

Zoomでの授業が試験的に始まった一週間。私は大学の中でも割としっかり授業に参加するたちなので、授業時間中はしっかりwifiの近くに座って、PC画面と向き合っている。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、多くの教育機関がオンライン授業なるものを試みているようだが、学生の立場から一週間やってみて気づいたオンライン授業の良い点や悪い点を述べてみようと思う。

画面共有は使える

オンライン授業で対面授業よりも優れていると思ったのはこの点である。私は目があまり良くないたちなので、大教室などで前方の席が取れなかった時は、スライドが見にくい、板書が見にくいというのは日常茶飯事である。ところが画面共有なら、この問題がすんなり解決する。先生の方も、スライドの文字を大きくするというようなことに気を遣わなくてもよくなるので、資料が作りやすいとおっしゃっていた。また、オンラインだと実際に板書を書くことができないという懸念があるが、ホワイトボードも共有するというこの機能やMacならiPadとのミラーリングなどが使える。書いてから映し出されるまでの映像があまり滑らかでないため、多少違和感も感じるが、学生側としてはあまり問題ないと思う。

さらに、この画面共有、学生の方からの発信にも使える。対面授業で発言していたことでも、文字や図で映し出すと伝わりやすいという場合がある。例えば、英語の授業の和訳など、予習してきて作成した文章を読んでも、まあ大体そんな感じです、というようなレスポンスしか対面授業ではもらえなかったが、文字を実際に映し出すと、ここの部分が具体的にどう違う、というようなことを分析してもらいやすくなる。また、自分の考えなどを図で示したい時、わざわざ前に行って黒板に書かなくても、手元のデバイスで処理できるし他の学生や先生にも見せやすいので非常にやりやすい。

発言はできるが…

オンライン授業は学生側からの発信ができないので学習効率が低下する、という意見があるが、これは動画配信がたの授業に限ると思う。ライブ配信ならば、学生の方から話しかけたり、挙手をしたり、文面で質問したりすることも可能である。少人数、30人程度なら、いきなりミュートを外して、すみません、と割り込むこともできるが、大人数の授業になるとそうもいかないので、挙手かチャットで質問という形になる。ここで少し問題が発生する。チャットや挙手が先生に気づかれにくいのである。特に画面共有をしている最中だと、先生は自分の資料に注目して話しているので、画面の横や下に小さく表示がされても気づかないのである。私の大学では、この問題に対してチャットや挙手に気づいて先生にお知らせする係を学生の中から決めるという方法で対処しているが(ちなみにこの係になった学生には謝礼が出るそうである)、質問が出るたびに不自然に授業が中断してしまい集中がきれやすくなってしまうのであまり良くないと思う。

一日中PCの画面を見ていると…

目が疲れるのである。ましてや自粛ムードで外にあまり出られず、明るい場所で、自然光で目を休めるという機会が減っているので、これはかなり辛い。私の大学は105分授業で、それが大体1日4コマであるから、授業を受けるだけで7時間PC画面を見ていることになるし、課題もオンライン提出であるから、それをやる2、3時間とSNS関係や調べ物の時間を合わせると優に1日10時間を越してしまうのである。おかげで夜は外出していないので体力を使っていないのに眠くなるので一概に悪いとも言えないが、今までPCやスマホを勉強の障害物のように考えてほとんど使ってこなかったであろう多くの新大学1年生にとっては、結構辛いと思う。

兄弟との折り合い

家族の中で自分だけがオンライン授業なら良いのだが、兄弟もオンライン授業だと多々問題が発生する。まず、物理的にPCが足りないという問題である。現に私の家族は3人兄弟であるが、普通に動作するPCは2台、タブレットが2台という状況である。自分は自分のPCで受講しているので問題ないのだが、他の誰か一人はタブレットでオンライン授業を受けなければならない。タブレットの性能によっては非常に授業が受けづらいことも予想される。次に起こるのはwifiに繋がりやすく、静かな場所の取り合いである。オンライン授業では、PCのスピーカー機能やマイク機能を使うので、隣に人がいるとやりにくい。というか兄弟に自分の学校での様子を見られるのは互いに気まずいのでこういう争いが起こるわけである。一人一人別の部屋を持っていればいいが、オンライン授業が始まるからと言って、学校や国が家の部屋を増やしてくれるわけはないのだ。

 

やっぱり対面の方が楽しい

上に述べたように、オンライン授業が授業として成り立たないなどと、過度に悪評価を受ける筋合いはない。きちんと利用すれば、学生と教員の相互コミュニケーションも可能であるし、オンラインの方が優れている部分もある。この世の中の状況においては積極的に利用しても良いのではないかと思う。一方で、家に閉じこもり、PCに向かい続けるとなるとそれなりにメンタルがやられてくるし、目もやられてくる。授業中に友人と先生あそこ間違えてね、あ、ほんとだ、というようなこともできない。楽しいいわゆる雑談の時間も皆無である。

また大学のキャンパスに行けるのがいつなのかはわからないが、早く友人とともに授業を受けたいなと思う。